masaの気ままな日記です。仕事や子育て奮戦から観光情報までその時々のこと思いのままに綴っていきます。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
近所の自動車修理工場の駐車場に見覚えのある酒屋さんの車が壊れておいてありました。
後で聞いたのですが、運転中意識を失いそのまま帰らぬ人になったそうです。
50代のまだ若い酒屋さん。自分が幼い頃からその場所にあった酒屋さん。
町の中心部の交差点角にある店は朝市にも近く観光案内所的な場所でもありました。
今の店主になられてからは、観光客のかたが気軽に利用できるようにと、輪島では唯一早くからパソコンを設置したりと、積極的にお客さんにサービスを提供している酒屋さんでした。輪島の風景の一部でもありました。
後を継ぐ方がおられないそうでこのまま店を閉めるのではないかと耳にし、とても残念でなりません。
ただただ、ご冥福をお祈りします。
後で聞いたのですが、運転中意識を失いそのまま帰らぬ人になったそうです。
50代のまだ若い酒屋さん。自分が幼い頃からその場所にあった酒屋さん。
町の中心部の交差点角にある店は朝市にも近く観光案内所的な場所でもありました。
今の店主になられてからは、観光客のかたが気軽に利用できるようにと、輪島では唯一早くからパソコンを設置したりと、積極的にお客さんにサービスを提供している酒屋さんでした。輪島の風景の一部でもありました。
後を継ぐ方がおられないそうでこのまま店を閉めるのではないかと耳にし、とても残念でなりません。
ただただ、ご冥福をお祈りします。
車を購入して、早、5年が過ぎました。ノーマル、スタッドレスともにそろそろ限界かなーと思いながら、この季節になってしまいました。
地元、Oバックスさんからアルミホイール付きスタッドレス4本が22,800円(3セット限定)という会員広告はがきが届いていたのですが、体調不良や、忙しさに忙殺されいけませんでした。昨日、ようやくOバックスさんへ行ってみると、「値上がりしてる-!」
ワンセット4万円ほどになってました。
以前、店長に聞いたことはあったのですが、時期が遅くなると県内全体の在庫も無くなるため価格を上げるように通達が来るそうです。
仕方が無いのでネットオークションで新品2011年製国産メーカー(TOYOタイヤ)を19,660円(送料無料)で落札。早速、郵貯振り替えで支払い。
とても対応の早い業者で、即日発送したとの事で、今日到着予定です。
Oバックスさんで持ち込みでの組み替え、バランス調整、古タイヤ廃棄料全部併せて5,800円と事でしたのでかなり安く購入でき増した。
まずは一安心。夕方、家族を乗せて灯油を入れにいつものスタンドへ、道中、何か変な音?
スタンドで灯油を給油していると店長が慌てて出てきて「坂口さん!前輪パンクしてますよ!」
思えば前日からハンドルに妙な振動がありました。
「スペアータイヤあるんだったらここで替えていくまし。」といって大きなジャッキと十字レンチを持ってきてくれました。寒いので家族を乗せたまま(本当は駄目だったのかな)大型ジャッキでジャッキアップ。
初めての出来事に車内の娘は興味津々。
かなり冷え込んできていたので時間短縮できてとても助かりました。
道具を貸してもらったのでタイヤ交換はスムーズに終わり、さて出発!
と思ったらまた異音。今度は従業員の方(いつもは無愛想な方)が走ってきて、「空気、はいっとらんよ!」と制止してくれました。そして車を誘導、空気を注入してくれました。(ありがとうございました。)
車購入してスペ-タイヤも初めて使ったので空気が抜けていたんですね。
パンクはしてしまったけど、タイミング良くスタッドレスタイヤ購入後に、しかもスタンドで教えてもらって本当に助かりました。
今日は保育所の発表会でした。
かなりのスパルタ練習だったのか「練習きびしいから保育所行くの嫌ねん。」と登所拒否をしてみたり、電気を消して寝床に入っても、天井を見上げてなにやら小声でぶつぶつつぶやいて眠れない様子。
過度の緊張感って言うやつだったんですね。
芝居では「おおきなかぶ」をするのはうすうす気づいてはいましたが、当日、おばあさん役での出演には驚きました。何となくおばあさん役って言い出しにくかったのかなー。
みんな精一杯頑張りました。保育所からのお土産のオレンジジュースとチョコクリーム入りのアンパンマンのパンにご満悦。(日頃は与えないので嬉しさひとしお)
でも家に着き、じいちゃん、ばあちゃんへの第一声は「こころ、疲れ切ったよ。じいちゃん、ばあちゃん、お母さんも疲れきっとたねー。」
そんな言葉、何処で? 妻が、お父さんの真似じゃ無い?
そっか、ここのところ多用していたかもしれない。(反省)
かなりのスパルタ練習だったのか「練習きびしいから保育所行くの嫌ねん。」と登所拒否をしてみたり、電気を消して寝床に入っても、天井を見上げてなにやら小声でぶつぶつつぶやいて眠れない様子。
過度の緊張感って言うやつだったんですね。
芝居では「おおきなかぶ」をするのはうすうす気づいてはいましたが、当日、おばあさん役での出演には驚きました。何となくおばあさん役って言い出しにくかったのかなー。
みんな精一杯頑張りました。保育所からのお土産のオレンジジュースとチョコクリーム入りのアンパンマンのパンにご満悦。(日頃は与えないので嬉しさひとしお)
でも家に着き、じいちゃん、ばあちゃんへの第一声は「こころ、疲れ切ったよ。じいちゃん、ばあちゃん、お母さんも疲れきっとたねー。」
そんな言葉、何処で? 妻が、お父さんの真似じゃ無い?
そっか、ここのところ多用していたかもしれない。(反省)
蒔絵師として独立して25年あまり。
独立というと聞こえはいいですが、自分の場合、やむなく独立といった方が正しいですね。そんな自分の蒔絵師としての歩いてきた道、少しだけ紹介させてください。
普通科高校を卒業後、本当に何も解らず、蒔絵の弟子に入りました。
最初に出会った師匠はまだ30代の若い日展作家でした。
今でも健在ですが、輪島を離れ生まれた地に帰り蒔絵と家業の農家を継いでいます。普段はほとんど連絡を取ることもありません。
何故かは解りませんが、自分に対して親方として、何もしてやれなかったと言う負い目の様な物を持っているようです。
年期開け後、親方に「漆芸技術研修所を受験したいのですが。」と言ったところ「蒔絵科を受験するつもりなのか?きゅうしつ科(塗り)を勉強するんだったら解らないでも無いが、今のお前の心持ちで蒔絵科を受験するのだったら、破門だ!」と言われました。
結局、親方の知り合いの蒔絵師が「漆芸研修所三年間分、俺が一年で身につけさせてやる!」と言われその蒔絵師の元で一から蒔絵を習うことにしました。
ところが、一年足らずで挫折。つくづく自分は蒔絵師に向いていないと落ち込みました。
それでも、その蒔絵師に「病気だろうが何だろうが、やりかけのこの仕事はお前の仕事だ!はってでも、家で最期まで仕上げろ!かかる材料は俺が持つ、しかし仕上がりが悪ければやり直しだ!」と言われ、寝る時間も削り、そのお椀(60客)を一ヶ月で仕上げ、その蒔絵師の元に持って行きました。
研ぎ、金の艶、上絵、全てを入念に見た後、「やれば出来るがい。」との一言。そしてその時、仕上げたお椀の蒔絵代と残った金粉、切り金などの材料を「これからお前が蒔絵をしていくのに使え!」といって自分にくれました。
先の師匠はもしかしたら研修所受験のことや自分が挫折したことを負い目にしているのかもしれません。
しかし、この一年あまりの辛い出来事が今もこうして蒔絵師として生きている自分の礎になっています。
自分は、こう考えています。結果として漆芸研修所はその後も受験すること無く今に至っていますが、求める気持ち、仕事に対する前向きな気持ちを持ち続けさえいれば色んな方法で自分に必要な事は身につけて行く事ができる。
そうして身につけて行く事が、実践で役立ち自分の本当の力になる。
師匠との出会いも含め、多くの色んな人との出会いが今の自分の力、財産になっています。
これからも出会うであろう多くの人達に影響を受けながら、蒔絵師として生きていたいと願っています。
独立というと聞こえはいいですが、自分の場合、やむなく独立といった方が正しいですね。そんな自分の蒔絵師としての歩いてきた道、少しだけ紹介させてください。
普通科高校を卒業後、本当に何も解らず、蒔絵の弟子に入りました。
最初に出会った師匠はまだ30代の若い日展作家でした。
今でも健在ですが、輪島を離れ生まれた地に帰り蒔絵と家業の農家を継いでいます。普段はほとんど連絡を取ることもありません。
何故かは解りませんが、自分に対して親方として、何もしてやれなかったと言う負い目の様な物を持っているようです。
年期開け後、親方に「漆芸技術研修所を受験したいのですが。」と言ったところ「蒔絵科を受験するつもりなのか?きゅうしつ科(塗り)を勉強するんだったら解らないでも無いが、今のお前の心持ちで蒔絵科を受験するのだったら、破門だ!」と言われました。
結局、親方の知り合いの蒔絵師が「漆芸研修所三年間分、俺が一年で身につけさせてやる!」と言われその蒔絵師の元で一から蒔絵を習うことにしました。
ところが、一年足らずで挫折。つくづく自分は蒔絵師に向いていないと落ち込みました。
それでも、その蒔絵師に「病気だろうが何だろうが、やりかけのこの仕事はお前の仕事だ!はってでも、家で最期まで仕上げろ!かかる材料は俺が持つ、しかし仕上がりが悪ければやり直しだ!」と言われ、寝る時間も削り、そのお椀(60客)を一ヶ月で仕上げ、その蒔絵師の元に持って行きました。
研ぎ、金の艶、上絵、全てを入念に見た後、「やれば出来るがい。」との一言。そしてその時、仕上げたお椀の蒔絵代と残った金粉、切り金などの材料を「これからお前が蒔絵をしていくのに使え!」といって自分にくれました。
先の師匠はもしかしたら研修所受験のことや自分が挫折したことを負い目にしているのかもしれません。
しかし、この一年あまりの辛い出来事が今もこうして蒔絵師として生きている自分の礎になっています。
自分は、こう考えています。結果として漆芸研修所はその後も受験すること無く今に至っていますが、求める気持ち、仕事に対する前向きな気持ちを持ち続けさえいれば色んな方法で自分に必要な事は身につけて行く事ができる。
そうして身につけて行く事が、実践で役立ち自分の本当の力になる。
師匠との出会いも含め、多くの色んな人との出会いが今の自分の力、財産になっています。
これからも出会うであろう多くの人達に影響を受けながら、蒔絵師として生きていたいと願っています。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
リンク
アクセスカウンター
沢山の方のご訪問、コメントをお待ちしています。
最新コメント
[03/20 なか]
[06/21 天野誠]
[06/21 GURE]
[06/17 筆屋和紙之介]
[06/09 NONAME]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
蒔絵師masa
年齢:
62
HP:
性別:
男性
誕生日:
1962/04/03
職業:
蒔絵師
趣味:
ホームページ、PC,映画鑑賞、写真
自己紹介:
三日坊主の自分なので更新もブログの題名通り気まぐれですが時々覗いて下さいね。
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0